先日同級生が他界したのでこの機に自分の死生観について書いておく。

だいぶ前に誰かの書いた物に、「自分の寿命は自分で決めれば良い」、という一文があり共感した。誤解の無いようにお願いしたいのは、自殺願望を肯定しているとかではなく、90歳まで生きたいと思うならそれを自分の寿命にすればよいし、120歳がわしの寿命じゃ!と決めれば他人にアレコレ言われる筋合いはない、ということ。

それ以来ヨッシーは180歳を自分の寿命に設定している。これマジで。しかし身の回りの大多数の人はこれを聞くと鼻で笑う。それは日本人男性の平均寿命がこれくらいだからそんなに生きれる訳がない、というものなのだが。

しかし平均がこれくらいやから自分も同じくらい生きるやろう、という相対的な決め方で考えたくないのだ。なのでヨッシーは180歳までを寿命とする。笑わば笑え。

同級生は同い年だったので55歳だった。ジョギング中に倒れて意識が戻らないままあの世に旅立った。早いと言えば早いけど、実際誰にでも起こりえることである。自分も含め、たいがいの人は明日も明後日も来年も生きてるつもりでいるが、そんな通行手形は誰も持っていない。

一日一生というのはそういうことで、自分の命は今日までだと思いながら一日一日を大事に過ごすという考え方。

ずいぶん前の新聞記事に、リタイヤして自転車日本一周にチャレンジしていた人が、自宅まであと十数キロというところでトラックに轢かれて亡くなったと出ていた。記事の最後は、あと少しで達成できたのにさぞ残念だったろう、と締めくくられていたがヨッシーには違和感が残った。

後に自分が自転車やヨットで日本一周の旅をしているとき、一日の終わりに今日も生きてたなあ~と感じる毎日を過ごしていたら、その違和感の意味がはっきりとわかった。

つまり、旅をする意味は一日目のスタートを切ったときにその大部分を達成しているということ。ゴールすることも目標の一つであるが、それよりもっと大事なのはスタートを切ること。

夢ややりたいことがあってもスタート地点にさえ立てない、立たない人が多いのだから。そしてゴールに向かって日々繰り返す充実感のほうが、ゴールする瞬間より何百倍も高いと思うのだ。亡くなった人を思うとき、あの人は満足した生き方やったろうとか、この人は思い半ばで残念やったろうとか言ってるけど、ヨッシーにとってはちゃんちゃらおかしい。

ちょっと長くなってきたからこのへんで締めくくるけど、要はヨッシーが突然あの世に行ったとしても残念やったろうとか思わんで欲しい。一日一生でやってますさかい、覚悟はいつでも出来てます。

まあ180歳まで生きるんやけどね。

以上